エンジン制御全体をカバーする次世代RCP環境を構築

日産自動車の第4世代MBDプロセスの開発をETASが徹底支援

エンジンを制御するソフトウェアは、規模も複雑さも増大し続けています。より高品質な制御ソフトウェアを、より高効率に開発するためには、モデルベース開発(MBD:Model Based Design/Development)およびRCP(Rapid Control Prototyping)を駆使した開発が必要不可欠です。ただし、これまでエンジン制御のような大規模ソフトウェアの場合一部だけしかRCPの対象にできませんでした。日産自動車株式会社(以下、日産)とETASは、制御ソフトウェア全体を対象にしたRCPの評価プロセスとツールチェーンの共同開発に挑みました。そして、前例のない大規模なモデルを対象にしたRCPを量産プロジェクトに適用できるレベルで完成させました。

段階的なMBDの導入で、制御の大規模化と複雑化に対応

年々厳しくなる環境規制に対応するため、エンジン制御のソフトウェアは、ますます大規模で複雑になってきました。自動車メーカーやサプライヤ各社は、限られた人数のエンジニアで、厳しい要求に応える制御ソフトウェアの必要に迫られています。 日産は、エンジン制御ソフトウェアを、より高品質、より短期間で開発する環境を整備するため、1990年代からMBDの段階的導入に取り組んできました。1999年に導入した「第1世代」では制御の一部をモデル記述し、2006年導入の「第2世代」では自動コード生成の利用拡大と物理モデルと制御モデルを組み合わせたシミュレーションを適用し、2013年に導入した「第3世代」では制御アプリケーション全体を「テンプレート」としてモデル化し、社内外で共有する体制を整えました。2019年時点では、約85%のプロジェクトに第3世代以降のMBD開発を適用しています。

近年では、エンジン制御ソフトウェアのアーキテクチャ刷新にも取り組んでいます。これまで日産では、「N-EMS(Nissan – Engine Management System)」と呼ぶ独自アーキテクチャを採用していました。ただし、アライアンスを組むグループ企業であるフランスのRenaultとの間にはアーキテクチャの違いがあり、グループ全体を俯瞰すればさらに効率化する余地が残されていました。

また昨今のソフトウェア開発標準化の重要なカギであるAUTOSARも大きく取り入れることで、更なる開発効率化や大幅な開発費削減も可能になります。そこで現在、制御ソフトウェアのアーキテクチャとMBDプロセスを、Renaultなどアライアンス企業間で共有する、AUTOSARベースに設計された「A-EMS(Alliance – Engine Management System)」を定義、さらなる効率化を目指す「第4世代」のMBDプロセスとしてアライアンス間のグローバル標準にする取り組みを進めています。

モデルの共用・有効活用を可能にするV&Vサイクル

日産では実際のプロジェクト開発プロセスに沿うように、MBDのV字サイクルを2つ組み合わせた階層的開発プロセス「ダブルVサイクル」を採用しています(図1)。1つ目のV字サイクルでは、再利用可能な動作検証済みのソフトウェア部品(SWC)のモデルを開発します。開発したモデルはアライアンス間で共通のデータベースライブラリに登録し、自社内またはアライアンス企業間の開発プロジェクトで共有して有効利用します。

2つ目のV字では、N-EMSやA-EMSルール/プロセス に沿って制御ソフトウェアを組み上げます。エンジン性能に大きく影響するアプリケーションソフトウェア(ASW)は自動車メーカーが開発し、自動車メーカーにとっての非競争領域であるベーシックソフトウェア(BSW)やOSはサプライヤが設計/選定します。

その際、自動車メーカーはライブラリ中の部品を組み合わせながら「テンプレート」と呼ぶASW全体のモデルを作り、これをサプライヤが選んだBSWやOSの上に載せて自動コーディングして量産コードを生成。その後、HILSによるリアルタイムでの検証や実際のECUに実装して適合検証を行います。 日産は、第3世代のMBDプロセスの導入以降、制御ソフトウェア全体をモデル化しています。ただし、RCPの対象は、一部の要素だけにとどまっていました。大規模で複雑なASW全体を対象にしたRCPの環境がなかったからです。日産ではこうした制御の一部を対象にしたRCPを「パーシャルバイパス」と呼んでいます。パーシャルバイパスを行うためには、大規模なモデル全体からRCPの対象を切り出す必要があります。この作業は、とても煩雑なものです。このため、制御開発者からは煩雑な切り出し作業に対する不満が多く、開発効率が向上するはずのRCPのベネフィットは限定的なものでした。こうした状況を解消するため、「エンジン制御全体のASWを丸ごとRCP化できる評価プロセスとツールチェーンを、第4世代のMBDの開発と同時進行で整備することにしました」と日産 パワートレイン・EV技術開発本部 パワートレイン・EV制御開発部 EMS制御技術開発グループ 主管の加藤浩志氏は言います。日産では、目指すASW全体を対象にしたRCPを「フルバイパス」と呼んでいます。フルバイパスが実現すれば、ASW全体を対象にしたHILテストもしくは実機評価が可能になり、劇的な評価期間の短縮や開発コストの削減が見込めます。また同時に開発しているASW全体をMILテストする「フルMIL」環境ともシームレスに繋げる事で、一貫したテストが可能になります。

図1:日産のパワートレインの制御開発プロセス「ダブルVサイクル」

評価プロセスで使う各ツール間の連携が評価効率向上のカギ

日産におけるフルバイパスのRCPを実現する取り組みを、より効果的なものにするため、ETASは1つの提案をしました。RCP以降、開発の最終段階である適合検証まで、評価環境を一元化したシームレスな検証環境の構築を勧める提案です。

日産のパーシャルバイパスの評価プロセスでは、RCPから適合検証に至る評価プロセスで用いる各ツールの間の連携に課題を抱えていました。例えば、HILS上の制御対象のモデルで動作検証した量産ソフトウェアを制御対象を実機に変えて適合検証する際、ケーブルの付け替えで混入したノイズによって量産ソフトウェアが動かなくなる場合がありました。こうしたノイズに起因する不具合の原因を探る調査には長い時間を費やすことになります。これが制御開発の品質低下や評価時間の長期化の要因につながる可能性がありました。そもそも、こうしたツール間の連携が円滑に進まない原因は、ツールチェーンを構成する各ツールのベンダーが異なり、扱うデータの仕様や使い勝手がバラバラだったことに起因します。ツールチェーンを同じベンダー製のツールに統一して構成すれば、当然、ツール間の連携がよくなりますし、使用者にとっても同じような使い勝手で複数のツールを使いこなせるメリットがあります。ETASからの提案は、ETAS製のツールだけでツールチェーンを構成することのメリットを説く提案だったのです。

代えがたいツール「INCA」を起点にツールチェーンを統一

日産はETASからの提案を合理的であると認めました。そして、ETASと共同でシームレスなツールチェーンとその活用を想定した評価プロセスを開発することにしたのです。これは、思い切った決断でした。日産の立場に立てば、単にツールの調達先を統一するだけならば、ETAS以外のベンダーから調達するという選択もあったからです。しかし、日産には共同開発の相手がETASである理由がありました。

まず、ツールチェーンの一角を占める適合検証ツールに、ETASの「INCA」に代わる機能と性能を持つツールがなかったのです。「MBDでの制御開発プロセスには、他のツールに置き換え難いツールが2つあります。1つは制御開発の最初であるモデル開発で用いるMathWorks社の『MATRAB®/Simulink®』。そして、もう1つがパワートレイン業界の標準ツールとして長年親しんできたINCAです」と加藤氏は言います。特に、グループ会社であるRenaultは欧州企業であり、開発環境やソフトウェア部品を共有するためには、業界標準のツールであるINCAを起点にしてツールチェーンを構成する必要がありました。

さらに第4世代のモデルベース開発を進めながら、同時に大規模モデルを対象にするフルバイパスのRCPの環境を開発するためには、日産と一緒に汗を流してくれるパートナーが必要不可欠だったのです。 日産は、それができるベンダーとしてETASを高く評価していました。加藤氏は「多くのベンダーは、自社が提供できる範囲の手持ちの提案をするだけです。これに対しETASは、自社が不利になるような客観的判断基準を提示してくれたり、1つの提案が上手くいかない場合には次善の策をすぐに提示したりと、パートナーとして頼りになる期待感がありました」と振り返ります

ASW全体を対象にしたRCPの開発、4つのポイント

日産とETASが評価プロセスやツールチェーンの整備に際して想定した、フルバイパスの対象となるASWのテンプレートは以下のように大規模なものでした。モデル数は約1300モデル、BSWからASWへの信号数は約1300個、ASWからBSWへの信号数は約300個にも達します。そして、RCPツール側のA2Lファイルのサイズは約130MB、HEXファイルのサイズは約16MBです。こうした大規模モデルを対象にしたフルバイパスRCPの評価プロセスとツールチェーンを実現する際のポイントは大きく4つありました(図2)。1つ目は、RCPツールの処理性能です。ETASのRCPツールの中で「ES910」と、検討時に投入されたばかりだった、より高性能な「ES830」が候補になりました。2つ目は、インターフェースの通信性能です。ASWとBSWの間でやり取りするデータ量を念頭に置いて、ECUのインターフェースとしてETK、XETK、FETKが選択肢となりました。

図2:日産とETASが共同開発したフルバイパスのRCP環境

加藤氏は、ツール選びの過程を振り返り、「当初、それほど高性能なハードを使わなくてもモデルを動かせると楽観していました。ES910であっても量産ECUに比べれば遥かに高性能であり、アーキテクチャの構造とインターフェースをスッキリと整理した自負があったので、通信量も必要な処理性能もそれほど大きくはならないと考えていたからです。ところが、ES 910を実際に試すと、予想外の処理が数多く必要になり性能が全く足りなくなることがわかりました。そこで、ETASと毎週のように連絡会を開き、代替案やより高性能なES830を採用した際の利害得失を議論し、ETASでもまだ開発の最終段階だったES830を先行して使用させて頂き、お互いに開発を仕上げていく事にしました」と語っています。インターフェースも同様に、評価と議論の結果を基に、データ転送が高速な「XETK」を採用し、XETKとCPUのインターフェースを動作可能な最大周波数で使用しました。

3つ目のポイントは、開発環境を構築する際のスピードアップ、効率化です。アーキテクチャのグローバル標準化などやるべき仕事が多く、手が足りなかったのです。「ETASの迅速で的確なサポートがなければ、実現できなかった」と加藤氏は振り返ります(図3)。まず、ES830のプロトタイプ版をETASから提供してもらい、それを活用することでフルバイパス環境を予定よりも早くリリースできました。さらに、評価効率をより高めるため、モデル変更時に変更部分だけをビルドする仕組み、INTECRIOでのインテグレーションに必要なモデル間の結線情報をテンプレートモデルから抽出する仕組み、未結線ポートの有無など結線結果のチェックする機能、バイパス側の適合変数をECU側と同様にラベル名だけで扱えるようにする機能、各工程の処理のスクリプトによる自動化なども共同開発しました。

図3:パートナーとして環境構築のスピードアップ、効率化に貢献

評価の効率を一層向上させるために、チームは協力して次のような一連の機能を開発しました:

  • ES830プロトタイプ版の活用、リリース前倒し(INTECRIO側対応も含む)(1) - モデルに変更を加えた場合、開発者は変更された部分だけをビルドすればよいようにするメカニズム(2)
  • INTECRIO でのインテグレーションに必要なモデル間の接続情報を、テンプレートモデルから抽出するメカニズム(3)
  • - 接続結果(例えば未接続ポートの存在など)をチェックする機能(4)
  • バイパス側の適合変数をECU 側と同様にラベル名だけで扱えるように変更(5)- 各工程の処理をスクリプトで自動化 (6)

4つ目はAUTOSAR対応です。ASWテンプレートモデルからAUTOSARライブラリでBSWにアクセスすることになりますが、一部機能はバイパスするための工夫が必要でした。DCM(Diagnostic Communication Manager)、DEM(Diagnostic Event Manager)、FIM(Function Inhibition Manager)の自動車メーカーとサプライヤのプラットフォーム間でのインターフェースは、現在のA-EMSの定義ではバイパスできません。DCMやCOMのコールバックファンクションも同様です。そこで、プラットフォームインターフェースよりも上部をバイパスすることにしました。また、不揮発性メモリーへの対応も求められることから、そこをES830の機能で代用しました。さらにDEM/FIMは簡易モデルで代用。サプライヤ診断は、FIMの結果をデータモニターすることでFIM簡易モデルと接続させました。これらAUTOSAR対応は、理想的には、RCPツール側が求められると考えています。

共に進化するウイン-ウインのパートナー

日産とETASが一丸となって共同開発を進めたことで、エンジン制御のアプリケーション全体をカバーする、前例の無い大規模なモデルを対象にしたRCPを量産プロジェクトに適用できるレベルで完成させることができました。

また、使い慣れたINCAのユーザーインターフェースで、計測データを集める感覚でシミュレーションやバイパスができるようになりました。ETASが評価業務手順やツールの操作法をマニュアル化するなどその利用を徹底支援したことで、現場の技術者はストレスなく、新しい評価環境を活用できているようです。加藤氏は、「既に最新エンジンのプロジェクトに適用を開始し、開発スピードと品質の向上、さらには開発費の削減に効果が見え始めています。 今後は日産オリジナルHEVのe-POWERやEV開発にも拡大予定で、これから本格的に活用する事でさらに明確な効果が発揮されることでしょう」と期待を述べています。

ETASにとっても、日産とのフルバイパスのRCPの共同開発は、大きなチャレンジでした。時代を先取りする技術要求に応える中で、将来直面する課題を経験し、ES830などRCP関連の製品をブラッシュアップできました。こうした自動車メーカーとETASのウイン-ウインの関係が原動力となり、自動車の開発環境をさらに高度なものへと進化させることでしょう。ETASでは「次世代RCP環境の構築」で得た知見を活かし、協調シミュレーションのための統合プラットフォームCOSYMやDOEツールETAS ASCMO 、実験自動化ツールINCA-FLOW 、およびフリートテスト用大容量ドライブレコーダー ES820と計測データ解析(自動)ツール EATB等を活用し、日産のさらなる開発効率化に貢献していきたいと考えています。

インタビュー

加藤 浩志 氏、日産自動車株式会社 パワートレイン・EV技術開発本部、パワートレイン・EV制御開発部、EMS制御技術開発グループ主管

もっと見る

  • エンジン制御全体をカバーする次世代RCP環境を構築 ダウンロード